八王子市の相続不動産の登記・遺産分割
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(八王子市)分けられない財産、不動産の相続登記をお客様の立場で行います。
「分けられない財産」=「不動産」で苦労されている方をサポート致します。
身近な財産に不動産がありますが、不動産は現金と違って簡単に分割して分ける事ができません。
なんとかしなければ・・と思っても、不動産は現金と違って、経費(たとえば固定資産税)が毎年のように発生します。
知り合いの不動産屋に相談しても、相続のゴタゴタを相談するのはちょっと気が引けるかもしれません。
大切な不動産の相続による名義変更や贈与などは不動産の売買と直接関係のない人に相談するのが一番安心です。
事務所では、司法書士と行政書士による無料相談を行います。是非、ご利用ください。
司法書士、行政書士などの士業は法律で守秘義務が定められていますので安心です。
具体的には次の対策を実施中です。
相続人の意見が、まとまらない。不動産の登記が出来ない
相続で得た不動産の売却が出来ずに困っている
不明な相続人がいるので相続不動産の遺産分割が出来ない
相続人が外国人(又は海外に在住)の場合の名義変更は?
贈与登記がいいのか、相続登記がいいのか迷っている
いざ売却となったら土地の境界が曖昧だった・・
負債の対策として不動産を処分したい
もちろん不動産対策の下準備として次のサポートもワンストップで行っています。
★ 相続人同士の調整。
★ 連絡先が不明な相続人の調査。
★ 相続放棄の手続き。
★ 財産を渡したくない相続人との交渉代理。
★ 遺留分減殺など相続に関連する内容証明書作成。
★ 限定相続のサポート。
★ 家庭裁判所へ執行者の選任・解任申立。
★ 家庭裁判所へ調停申立。
★ 相続不動産の売却。
★ 不動産の境界確定
これらの業務を行うには、専門家集団が必要となりますが、顔が見えない総合事務所では責任の所在が問題となります。
自動車のような商品であれば、一定に品質保証でカバーできますが、
オーダーメイドの相続で大切な事は
「何を」 ではなく、 「誰が」 行うかが大切です。
そのため、実務経験のある専門家集団が必要となります。
事務所では以下の協力事務所と一緒に業務を行っています。
▼ 協働事務所の紹介
| 西東京司法書士事務所 きざきFPオフィス(株) 小野登記測量事務所 高崎行政書士事務所 |
法人変更登記・不動産登記・相続人間調整 相続トラブル解決・融資対策 新築・増築・滅失登記、払下手続 定款の改定・遺言対策・許認可変更 (サイト窓口) |
電話受付 午前9時30分から午後6時まで (火曜日を除く毎日)
営業時間 午前10時から午後8時まで
(火曜日を除く毎日)
※ 火曜日はお休みを戴いておりますが、土曜日・日曜日は通常通りです。
事務所はJR八王子・京王八王子駅から徒歩4〜5分です。
※ 八王子市の概要
八王子市は国土交通省により業務核都市と定められている。市の人口は、全国の市町村で第23位、東京都内の市町村で第1位(東京23区を含む市区町村では第6位)、全国の政令指定都市及び候補市(熊本市)を除くと鹿児島市、船橋市に次いで全国第3位の市。政令指定都市・中核市・特例市のいずれにも属さない市で最も人口が多い。2007年4月に保健所政令市に移行した。八王子市は、その周辺部も含め23の大学等(大学・短期大学・高専)があり、外国人留学生約3,100人を含む約11万人の学生が学ぶ全国でも有数の学園都市である。
後北条氏および徳川氏から軍事拠点として位置づけられ、戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町(八王子宿)として栄えた。明治時代には南多摩郡の郡役所所在地となり、多摩地域内で最も早く市制施行した。かつて絹織物産業・養蚕業が盛んであった為に「桑の都」及び「桑都(そうと)」という美称があり、西行の歌と伝えられてきた「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」という歌もある。 郵便番号(上3桁)192・193
八王子市は東京都の島嶼部を除く地域の南西部、都心から約40kmに位置している。
市域全体を概観すると、山地・丘陵を三方の周縁とし、東へ流れる浅川を中心に、八王子盆地と呼ばれる東にひらけた半盆地状の複合扇状地をなしている。かつてその扇状地は桑畑として利用されたが、現在では住宅地や工業用地として転用されほとんど見ることができない。西部の山地に源を発する浅川は市の中央部付近で南浅川と合流し市の中心域を流れ、川口川と合流、日野台地のせり出しを受けて東南に下り、山田川、湯殿川と合流して日野市へと向かう。その他の主要河川である北部の谷地川、南東部の大栗川はそれぞれ市の外で多摩川に合流する。中心部の標高は海抜100m前後である(市内最高所は醍醐丸=上恩方町、標高862.7m、最低所は大栗川=大塚、標高63.0m)。
歴史
北条氏照が城を築いた深沢山には、牛頭天王の8人の王子神である「八王子権現」が祀られていたため八王子城と名づけられた。この城名が市名の由来である。八王子城が豊臣秀吉の小田原攻めにより落城すると、この地方は後北条氏の旧領全域とともに徳川家康に与えられた。交通の要衝であるため、江戸を甲州口から守るための軍事拠点としての役割も担った。徳川家康が武田家の遺臣を召抱えて組織した八王子千人同心の根拠地となったのはそのためである。そして、江戸時代には関東各地の直轄領(御料)を支配する代官18人が駐在することとなり、武田家旧臣の大久保長安が代官頭をつとめてこの地方の開発および甲州街道の整備にあたった。その結果八王子横山十五宿は甲州街道中、最大の宿場町として、また多摩地域の物資の集散地として栄えた。
開国ののち、明治維新期以降は織物産業が繁栄し江戸時代からの宿場町を中心に街も発展した。特に生糸・絹織物については市内で産するだけでなく、遠くは群馬・秩父や山梨・長野からも荷が集まり、輸出港である横浜への物流中継地としても機能していた。1917年には、東京府内で東京市に次ぎ2番目に市制を施行した。(当時、豊多摩郡(現、牛込や四谷(当時の内藤新宿町以外)を除く新宿区・渋谷区・中野区・杉並区)、荏原郡(現、品川区・大田区・世田谷区・目黒区)、北豊島郡(現、豊島区・北区・荒川区・板橋区・練馬区)、南足立郡(現、足立区)、南葛飾郡(現、本所を除く墨田区・深川を除く江東区・葛飾区・江戸川区)は東京市編入前であり郡制を敷いていた。)
1960年代以降は、織物など繊維産業の衰退もあり、市の郊外には北八王子工業団地などの工業団地や多摩ニュータウンなどの大規模な住宅団地やが建設された。また、都心のキャンパスが手狭になった大学の移転が相次ぎ、学園都市とよばれるようになった。そのため、産学共同研究が近年は盛んである。市の西部の高尾山、陣馬山などの山々は観光地やハイキングコースとして人気があり、また中村雨紅の生誕地にある『夕やけ小やけふれあいの里』や東京都内で初めての道の駅である『道の駅八王子滝山』なども行楽客を集めている。


